私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外41 難+2021年6月16日

 
次の英文はThe Execution of Nazi War Criminalsと題する国際通信社の記事の一節です。筆者のKingsbury Smithは米報道陣の代表として(絞首台ないしはそれと同じ高さに作られた別の台上で)処刑に立ち会った人です。
下線部が表している事柄を説明しなさい。

Von Ribbentrop was able to maintain his apparent stoicism to the last. He walked steadily toward the scaffold between his two guards, but he did not answer at first when an officer standing at the foot of the gallows went through the formality of asking his name. When the query was repeated he almost shouted, 'Joachim von Ribbentrop!' and then mounted the steps without any sign of hesitation.

When he was turned around on the platform to face the witnesses, he seemed to clench his teeth and raise his head with the old arrogance. When asked whether he had any final message he said, 'God protect Germany,' in German, and then added, 'May I say something else?'                                                                 by Kingsbury Smith  16 October 1946

執筆者注 Von Ribbentrop : ヒトラー政権の外務大臣 ニュルンベルク裁判で絞首刑

ヒント1

番外41の課題が「和訳しなさい」ではなく「事柄を説明しなさい」となっているのは、和訳だけでは、本当に読めているかどうかを判定できないからです。

たとえば、ある英文があって、それを直訳すると「ないものはないんだから、あわてるな」になるとしましょう。

この英文が表している事柄は「求めるものがどんなものであっても、必ずあるんだから、あわてる必要はない。落ち着いて探しなさい」です。

ところが直訳した人は「あるものはあるし、ないものはどんなに探したってないんだから、あわてて探したって意味ない。落ち着いて探しなさい」という意味だと思っていたとしたら、この人は誤読しています。

しかし、それは直訳からは判定できません。なぜなら、この直訳はどちらの意味にも取れるからです。

番外41の下線部の問題点は、たとえば、こういった類のことなのです。つまり「直訳しただけでは本当の事柄はつかめていない可能性がある」ということです。というよりも「多くの人は、直訳しただけでは、事柄を誤解してしまう」と言った方が正確です。

よく、この場の状況を考えてください。

ヒント2

「英文構造の把握の仕方」を教える本はたくさんありますが、「英文が表している事柄や論理関係の把握の仕方」を教える本はほとんどありません。英文解釈とか英文精読というのは、本来は、このレベルのことを言うのです。番外41は易しい適問だと思いますので、興味のある方のために、少し詳しくお話ししましょう。

まず、与えられた情報(タイトル、筆者、紹介文、本文の英文)から、この場の状況を考えます。たとえば登場人物は何人で、それは誰か?それらの登場人物の物理的な位置関係。どんな出来事がどんな順番で起こったのか?下線部は一連の経過の中でどのタイミングのことを言っているのか?要するに、おそらく10分くらいの間に、どんな順番で、どんなことが起こって、それに関わる人間はその時どこにいて、どういうふうに関わったのか?これをイメージしてみるのです。

次に、下線部を含んだ1文を、構造通りに、直訳します。この直訳の日本文から感じられる事柄が、イメージと合致していれば、おそらく問題ないのです(つまり、その事柄は正しくて、その直訳も正しいのです)。

本問の場合、イメージが正しければ(=この場の状況を正しくイメージできていれば)、直訳の日本文から感じられる事柄が、イメージと合致しないのです。この場合、考えられるのは3つです。

1.正しく直訳できていない(たとえば構文をまちがえているとか)。

2.イメージが間違っている(正しくイメージできたと自分で勝手に思っているだけで、実は間違っている)。

3.直訳の日本文から感じられる事柄が間違っている(実は、直訳の日本文は、それから直観的に感じられる事柄とは違う、別の事柄を表すこともでき、その別の事柄だとイメージに合致する)。

こういうふうに考えていくのです。「直訳の日本文から感じられる事柄が、イメージと合致しない」ことに気がついたとき、「何が問題なのか?」に気が付くのです。そこで、上の1, 2, 3を考えると、答えにハッと気が付くのです。答えは奇抜なことではありません。ごく当たり前のことです。当たり前すぎて、「何が問題なのか?」に気が付いていない人は、答えを言われても「はぁ~、そうですか...」くらいのことで、その重要性(=誤解と正解の事柄の決定的な違い)がわからないのです。しかし、センスのある人(=この問題の重要性がわかる人)は、ただこの1問の解説を読んだだけで、今後英文を読んでいくときの重要な視点を1つ得ることができます。

ヒント3

番外41の下線部が表している事柄(=客観的な事実)は、普通はこの文だけを見ていてはわかりません(語法的知識が非常に多い人、事柄に対する感覚が鋭敏な人、あるいは前にこの現象を習うか何かして知っている人なら、下線部だけでわかるかもしれません)。

ヒント(1)で、ある英文を「ないものはないんだから、あわてるな」と直訳した人が、訳文自体は正しいが、訳した本人は読めていない、という例を出しました。

この人は、この架空の英文(実際には、この英文の直訳文)に対して「あるものはあるし、ないものはどんなに探したってないんだから、あわてて探したって意味ない。落ち着いて探しなさい」という事柄を与えました。

ところが、正解(=この英文が表している本当の事柄)は「求めるものがどんなものであっても、必ずあるんだから、あわてる必要はない。落ち着いて探しなさい」なのです。

この人は、いくらこの英文を眺めていても、正解には気がつきません。なぜなら、この英文の直訳はまさしく「ないものはないんだから、あわてるな」で正しいのですし、この人がこの直訳文に与えた事柄(=ないものはどんなに探したってないも完全に成立しているからです。この人が、自分の間違いに気がつくのは、前後を読んで、自分が考えている事柄では、前後の文脈に適合しないことに気がつくからです。

たとえば、英文中で「ないものはないんだから、あわてるな」と発言した人が、前後のどこかで「しらみつぶしに探しましたが、結局ないことが判明しました」と言った人に対して、「そんなわけないだろう。本当によく探したのか?」と発言していたらどうでしょう?

「ないものはないんだから、あわてるな」と訳した人がこの訳文に対して与えた事柄(=ないものはいくら探してもないのだ)と矛盾していることは明らかではありませんか。

私が問題にしているのはこういう性質のことなのです。英語の勉強をするときに、まず構文を勉強するのは当然です。構文がわからないのに、勘とフィーリングで単語の意味をつなぎ合わせて、それらしい意味をでっちあげるなどということは「英文を読む」とは言えません。問題は、構文の勉強が進んで、正しく英文構造を把握できるようになってきた、その後なのです。

こういう人は、構文がわかりますから、正しく直訳できます。すると「これで読めた」と自他ともに認めてしまって(=許してしまって)、あとは、その直訳をいかに滑らかでこなれた日本語にするかに注力してしまう。これは翻訳技術の勉強であって、英文読解の勉強ではありません。

構文がわかって、直訳できたら、その先に「(その英文が表している)事柄」と「(その英文と他の英文との)論理関係」を正しく認識するというプロセスが残っているのです。そして、英文読解で最も難しいのはこの最後のプロセスなのです。

もちろん英文自体、ないしは直訳文から直観的に感じ取った事柄と論理関係が正しければ、それで問題ないし(=この最後のプロセスは不要だし)、実際そういうケースがほとんどだと思います。しかし、いつでもそううまくいくとは限りません。直観的に感じ取った事柄と論理関係が間違っていることはあるし、その場合に間違いに気がつけなければ、結局、誤読を正読と思い込んだままで終わってしまいます。

今に始まった話ではありませんが、英文読解のこの最後のプロセスは極めて軽視されているのが実情です(構文の考え方を習得するのが先ですから、仕方ないとも言えますが)。例によってまた話が大袈裟になってしまいました。番外41の下線部がはらんでいる問題は、極めて単純なことです。しかし、問題の性質は以上に縷々述べたようなことなのです。

 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外39 やや難2021年5月31日

 
次ノ英文ヲ和譯スへシ

The nature of modern war is not a simple matter. It is subject to numerous modifications according to the character of the contending parties and of the various theatres of war. The fundamental principles of war certainly remain the same, wherever it is waged; but special conditions cause in each case special methods of employment of the fighting forces, and these latter, again, will frequently differ.           大正4年(1915)陸軍大学校 初審

 
 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外382021年5月21日

 
Japan remains deeply attached to the ideal of noninvolvement in foreign conflict, and public opinion is suspicious of even the best-intentioned arguments for sending soldiers overseas. Rescuing Japanese nationals, after all, was one excuse the imperial Army used to invade China in 1931.                                                                                                             (1994)
 
 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外34 難2021年5月12日

 
明治29年日本人で初めて救世軍士官に任官し、東洋人で初の将官に進み、後に日本救世軍司令官を2度にわたり務めた山室軍平中将の著書『平民之福音』(1899)の中に新約聖書の『ローマ人への手紙』から引用した一節があります。次の英文は『平民之福音』の英訳書(The Common People’s Gospel  David Ramsay大佐翻訳)の中のその個所です。

 When he was 33 he was taken by wicked men and crucified. He died as the Substitute for all sinners. 'Very rarely will anyone die for a righteous man, though for a good man someone might possibly dare to die. But God demonstrates his own love for us in this: While we were still sinners, Christ died for us' (Romans 5:7, 8). The infinite love of God is clearly revealed in the fact that he sent his only Son into this world to save us.

『口語訳新約聖書』(日本聖書協会1954、最終校正日は2015/10/10)は下線部を以下のように訳しています。

正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

この和訳は間違っていません。しかし、この和訳は論理的なつながりが分かりにくいです。誤解しないでください。私はキリスト教の深遠な教理といった難しいことを言っているのではありません。ただたんに、パウロが「正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。」と言うことによって、何が言いたかったのか(=パウロがこの部分を言った意図)が分かりにくいと言っているのです(Romans『ローマ人への手紙』は新約聖書中の一書で、使徒パウロによって書かれたとされています)。別の言い方をすれば「下線部②の文頭のButは何と何をつないでいるのか、分かりにくい」ということです。

大袈裟ですが、これが英文解釈の最終到達点です。構文を正しく把握し、それに基づいて字面を"正しく"訳しただけではまだ足りないのです。この文はどういう「事柄」を表現しているのか?この文はどういう「論理関係」で前文、後文とつながっているのか?この文で筆者が「イイタイコト」は何か?この3つを正しく把握したとき(本問の問題点は論理関係とイイタイコトです)、初めて正しく読めたと言えるのです。考えてみてください。

 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外26 難2021年4月6日

 

Babies cry when they need something and it is because you know that yours will do so that you can assume, under all normal circumstances, that a baby who is not crying needs nothing. It would take serious illness, severe chilling, or smothering, to make a baby suffer in silence.

                                      Penelope Leach. Your Baby & Child: From Birth to Age Five. 1989

 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外182021年2月28日

 
He is waiting for the results of tests that will determine if his recent exhaustion, bouts of fever and severe headaches are what he and his doctors fear it is: acquired immunodeficiency syndrome, or AIDS. 
                                                                                                         (1994)
 
 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外7 やや難2021年1月15日

 

Scientists have stripped away cancer’s mystery and revealed the malignant cell for what it is: not an intrinsically evil villain but an ordinary machine that has broken down in very specific, and potentially reparable, ways.                                                                                                               1994年)

 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外13 やや難2021年2月2日

 
20世紀フォックスの上映時間3時間近い超大作映画 PATTON(1970年公開 邦題『パットン大戦車軍団』)はジョージ・S・パットン米陸軍大将の演説のシーンから始まります。この演説は名高いPatton's Speech to the Third Army(第3軍に対するパットン演説)をほぼ忠実に再現したものです。次の英文は、この演説の出だしです。『パットン大戦車軍団』劇場公開版は、これを次のように字幕化しています。

「臆病者が 祖国の勝利のために 命を捧げた ためしはない バカ正直な戦友を死なせて勝利を握るだけだ」

はたして、本当にこういう意味でしょうか…

Now I want you to remember that no bastard ever won a war by dying for his country. He won it by making the other poor dumb bastard die for his country.                 General George S. Patton1944

 

Doris Dayが歌ったQue Sera, Seraのrefrain 2024年9月21日

 

Whatever is, is right.

Whatever will be, will be.

上はAlexander PopeのAn Essay on Man (1733)のEPISTLEⅠに出ている詩の一節です。下はアメリカ映画The Man Who Knew Too Much(1956)でDoris Dayが歌った主題歌 Que Sera, Sera(作詞Ray Evans, 作曲Jay Livingston)の一節です。

ちなみに、Que Sera, Seraの1番の歌詞は以下です。

When I was just a little girl I asked my mother

What will I be

Will I be pretty

Will I be rich

Here’s what she said to me

Que Sera, Sera

Whatever will be, will be

The future’s not ours to see

Que Sera, Sera

What will be, will be

 
 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外2 やや難2020年12月24日

 
次の英文は2000年シドニーオリンピックのときの雑誌記事の一節です。

 “I’m sorry.” For days that’s been about all Japan has heard from its Olympic athletes.

 

(執筆者コメント)オールジャパンで応援しよう!…かな?

(執筆者ヒント)Today, all beauty requires is cash ― and Asians are blowing it on surgery at an unprecedented rate.

 

私家版 戦前入試問題で学ぶ英文解釈(番外1 難2020年12月24日

 
次の英文は、サッカーの不世出の天才プレイヤーDiego Armando Maradonaが2020年11月25日に60歳で急逝したときのLionel Messiの言葉です。
 
“Even if I played for a million years, I’d never come close to Maradona. Not that I’d want to anyway. He’s the greatest there’s ever been.”

                                ― Lionel Messi